KEAT2013 / KEA2014作品集

KEAT小砂環境芸術祭2013およびKEA小砂環境芸術展2014の作品集を公開しました。
 
 

【 KEAT 2013 】

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[ 都市の残像 | 松尾ほなみ ]

新宿駅を歩いている時に、ふと人が人として見えなくなりざわめきの集合体として感じられることがある。その感覚をそのまま小砂の林で再現すると何が起こるのか。林のざわめきは人のそれとリンクするか、しないのか。木の一本を伐採するのにも五穀を奉納し、山の神様に感謝する山の人の考えと、都会の感覚に親しんで20年間を過ごしてきた私の感覚は交差できるだろうか。これはその最初の試みである。

 

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[ 境界Ⅰ – 境界Ⅴ | 青木香保里 ]

水母の身体の95%は水で成り立っています。その組成は脆く、簡単に崩壊してしまいます。彼らは自分の力で泳ぐ事もなく、ただ水に漂い生涯を終え、海水へと還ります。それを見て、人は儚いと感じるでしょう。しかし生物として彼らと私達の間に、どれだけの差があるのでしょう。私達もまた、大きな自然の循環の中に生まれ、漂い、還ってゆくのだという事を、彼らを見ていると考えずにはいられないのです。

 

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[ 支える | 浅井充 ]

私たちは、普段は目に見えていないはずの鉄骨が実際に建造物に入っていると信じています。しかし、その鉄骨が入っていなかったら?あるいは建築的な構造として入っていなかったら?
そういったことを考えながら鉄骨が本来の作用である、「支える」ということを誰もが共有出来る同じ「支える」という作用として、人体の足を使い、表現しました。

 

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[ かっぱのきもち | 伊藤沙織 ]

流れる時代の景色や移ろう季節の風景、何を見て何を感じているのか…。
疲れてしまった人の心を和ませてあげられたらいいなと思い生まれた作品です。
河童は“河の童”と書くように、私の中で子どものイメージが強く、古びた学校がよく合います。廃校に住みついてしまった河童。使われなくなった朝礼台に座り、かつて子どもたちが通い、学び、遊んだ学校に思いをはせ、宙を見つめる。

 

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[ キョウカイヲコエテ | 井口雄介 ]

子供の頃、屋根に登りたかった記憶は多くの人がもっていただろう。新しく建てられ様々な視点を生み出す建築物も、時がたつにつれ徐々に習慣性を帯び、見慣れてくる。作品はその建築物に寄生するかのように介入することで、既存の建物だけでなく、作品を含めた新たな形態となって鑑賞者の前に現れる。作品単体で成立するのではなく、建築、ひいては環境、地域の住民も含めて作品が寄生することで新たなものとして存在する。

 

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[ 土地ドレコレクションin小砂 | 稲垣侑子 ]

“覆う事は見せる事”をテーマに作品を作ってます。華やかな装飾品を身に纏うだけではなく、デコレーションするのは女の子は大好きです。自分や物だけではなくペットにも服やアクセサリーを付けて飾ったりもします。たまには過剰なまでに。そんな女性のエゴが私は素敵だと思う。そして美しい自然の景色にドレスを着せる事ができたならさらに楽しい物になるのかもしれない。そんな私のエゴ表現

 

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[ 軸になる辺 | 原佳史 ]

正六面体の一つの辺、その辺を軸に、分割させてみるとこのようなかたちが生まれました。

 

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[ nowhere – spring – / どこでもないところ – 泉 – | 松尾美森 ]

nowhereどこでもないところ、とは、作者の私の心の中だけにあるもの、ではなく、どの人の心の中にもある、という意味で、“どこでもないが、どこにでもある”という言葉を隠している。それは人の心の中にある風景、個人的な思いや、出来事などが集まり積み重なってできた遺跡のような、場所である。水のように溢れ出し、流れていくその先には何があるのだろうか。まだ見つけてはいない。

 

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[ 裂目 | 森洋樹 ]

当たり前のように見ている景色に亀裂を入れることで今見えているものから距離を置いて見直してみたい。

 
 

【 KEA 2014 】

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[ 毎日プリント | 安齋歩見 ]

これは、プリントです。
回覧板や新聞広告など、世の中はプリントで溢れています。人が動くことで事物に影響を与え、印刷物が増えていきます。この作品は私一人では作れません。ユンボにプリントした作品と、小砂地区の方々の軽トラにプリントしたものを貼ってもらい、軽トラが動きまわって、制作完了です。ユンボは一部分、文星芸大生と一緒に版を作ってプリントしました。

 

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[ OROCHI (project.BABEL vol.5) | 井口雄介 ]

雨の日に、この作品の下には雨水が流れるための見えない小川が存在する。川は山のふもとに行けば水を集め大きくなるがその道筋をたどるとものすごく些細なところから川は始まっている。滝を登って竜となるように、どんなに小さい、見えない川とは呼べないようなものであってもひたすら辿っていくと、気がつくとそこは大自然に囲まれた神秘的な景色に包み込まれている。この作品は見えない流れを辿り、水とは逆にのぼるほど周りの素材を集めながら太く大きな存在感を放ち山の風景を取り込むものである。

 

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[ 土地ドレコレクション2014 | 稲垣侑子 ]

この作品は小砂地区の窯元にいただいた陶器の破片を使用しています。華やかな装飾品を身に纏うだけではなく、デコレーションするのは女の子は大好きです。自分や物だけではなくペットにも服やアクセサリーを付けて飾ったりもします。たまには過剰なまでに。そんな女性のエゴが私は素敵だと思う。そして美しい自然の景色にドレスを着せる事ができたならさらに楽しい物になるのかもしれない。そんな私のエゴの表現。

 

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[ バランス | オーラン ディスコル ]

あなたがここで見ているものは全て、この「空間」を作り上げている一部である。
この家自体も空間を作っている要素であるため、ギャラリーのような空間に変えることはせず、日差しが入るようにしたこと以外、初めて私がここを訪れた時とできる限り同じままにしてある。
写真は小砂で撮られたものもあれば、私が住む東京のものもある。この空間にあるものに優劣関係は存在しない。
そして今、家の中は私の作品と私の痕跡による存在感によって満たされている。

 

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[ 山灰庵 San-kai an | 瀬川辰馬 ]

本作品では、小砂地域で採取した廃品を粉砕し、釉薬の着色剤として用いた器を複数展示します。冷蔵庫、テレビ、扇風機。小砂の豊かな自然のなかに、これらの人工物を見つけると我々は異物として認識してしまいます。しかし、そのような人工物たちも、金属をはじめとする様々な無機物を練り固めたものに過ぎません。冷蔵庫は、はじめから冷蔵庫として存在していた訳ではなく、種々の鉱物がその姿を変えたものです。そのような意味に於いて、山から陶土を掘り起こすことと、冷蔵庫を拾ってくることの間に本質的な差異はない、と私は考えます。

 

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[ 最も関わりのある場所 – 光の庭 – | 田原 唯之 ]

私たちと自然との関係はある“具体的な場所”から始まる
それは自己の身体に最も関わりのある場所なのだろう
納屋の中で眠っていた農機具 壁の隙間から漏れる光
機具を磨き再び光を宿すことで 溢れる光を増幅する
屋外と屋内とが混ざり合い 人と自然が深く関わり合う空間
庭となる

 

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[ やま・にたものどうし・みえなくなる・あたま | 八木麻里 ]

この自然豊かな美しい村、小砂。そこには沢山の農機具や農具が村の人々の生活と一緒にあった。その道具達を見ているとどうだろう、どれもとてもおもしろい形をしている。見れば見るほど「道具」としては認識できなくなっていた。田植機の骨と車輪、芝刈り機全体の細長い雰囲気、大豆を潰す道具の丸み、かつては動いていたであろう農具の手すりの三角形。私にとって、もうそれは作品の一部だった。本来の在り方の「道具」ではなく、作品を通して「彫刻」という視点から彼等にもう一度アプローチする。

 

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[ 神殿のない国・影・始まりの場所へ | 渡邉透真 ]

緑美しい小砂の景色は、海を走り抜ける波の景色と出会ったとき、どのように変化してみえるでしょうか。
また、小砂でみる波の景色は、どんなものでしょうか。そのような思いつきから本作がうまれました。

 

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[ オーボエカルテット – 上野チャルメーラ ]

金光美重・塚本瑶子・戸田智子・藤本茉奈美
森に調和する木管の柔らかなハーモニー。藝大上野チャルメーラにオープニング演奏とミニコンサートをお願いしました。